事件から約一週間。今の現地の写真も交えて富岡八幡宮の事件についてあれこれ

こんにちは、今話題の富岡八幡宮のお膝元、宮元(富岡一丁目)に住んでいるw.です。
閃華の刻-年納-の準備に明け暮れ、終わって久々にこのブログのアナリティクスを見たら12月7日から8日にかけてアクセス数の跳ね上がり方が半端ない。
検索ワードを見てみると【富岡八幡宮 事件】や【富岡長子】等のワードがずらり。
なるほど、このブログで以前紹介した富岡八幡宮例大祭の記事が検索に引っかかり皆さん来られたようです。
wdaburuw.hatenablog.com
あの事件から約一週間、近況も交えてあれこれたわいもないことを書いていこうと思います。

今年8月の本祭りで撮った長子さん

まず、先述の記事を見て思い出したというか、今回の被害者である富岡長子さんが映った写真を記事で紹介してましたね。
それがこの写真です。
f:id:w_daburu:20170812084421j:plain 本祭り2日目、神幸祭(しんこうさい)鳳輦(ほうれい)の時の出発時の写真です。
この神事では人力車に乗った宮司も参列します。つまり
f:id:w_daburu:20171214082832p:plain この方です。
宮司が、と書きましたが、この時は神社本庁への3度にもわたる正式な宮司への就任具申が認められなかった為、長子さんは宮司代務者でした。
この本祭りの1か月後、富岡八幡宮神社本庁から離脱、長子さんは正式に宮司となります。
まさかこれを撮った時はこんな事になるとは微塵も思っていませんでした。
が、ワイドショーでも報道されている通り、怪文書も投函されていた時期が確かにありましたし兄弟間の確執があまりにも酷いと地元でも有名だったためいつか何かしらやらかすのではないか・・・(もしくは起きるのではないか)という予感は全くなかったとは言えません。
むしろ事件が起きた後の今でも「何か起きてもおかしくなかったよね」と、事情を知ってる人は口を揃えて言います。

今現場周辺はどうなっているか

一週間経ち今現場の周辺はどんな様子なのか。
結論から申し上げると現在は驚くほど静かです。
連日のワイドショーをご覧になってた方はお分かりだと思いますが、事件発生からしばらくは社殿左の横綱力士碑に向かう道、池の周辺、赤い橋の周辺、ミニスーパーの周辺等広範囲で立ち入りが規制されていました。
ですがすでに4日後にはその辺りの規制は解除され、自宅周辺に規制テープが張られているだけとなっています。
11日の夜にミニスーパーに行ってきたついでに歩いてみました。
f:id:w_daburu:20171214090657j:plain 左手奥を進むと横綱力士碑、さらに進むとお焚き上げ所があり、その先が長子さんの自宅玄関先となります。暫く規制線が張られていましたが今はもうありません。
f:id:w_daburu:20171214090703j:plain 上空からの映像でかなりインパクトがあった玄関先なので覚えている方も多いのでは。勘違いされている方も多いのですがこの玄関先では長子さんではなく茂永容疑者、真里子容疑者が 死亡しています。玄関先に規制線が張られています。
f:id:w_daburu:20171214090701j:plain 右手が婚儀殿、左手が弁天池と七渡神社栗島神社。こちらからも自宅に行けてしまうのでこの辺りも規制線が張られていました。今はありません。
この写真右90度の方角を進むと運転手が襲撃されたミニスーパーがあるのですが、よくお世話になるので写真撮りませんでした。報道では結構出血の跡があったあったのですが今はもうありません。
f:id:w_daburu:20171214090707j:plain 若干規制緩和された時に、この場所からの報道も多かったですね。左手奥に見える洋風の建物が自宅裏です。
f:id:w_daburu:20171214090712j:plain 渡ってみると f:id:w_daburu:20171214090718j:plain 側面にも小さな門があります。ここが第一の現場、つまり長子さんが刺された現場となります。ここは規制線が張られています。当たり前ですが今では建物から生活感が感じられません。
f:id:w_daburu:20171214090720j:plain 余談ですが何気にこの赤い橋、旧弾正橋(八幡橋)と言って重要文化財なんですよ。

こんな感じで、規制線の他はもうすっかり日常を取り戻している感じです。
雨も降ったので、逃げてきた運転手さんが道なり流した血痕ももうすっかりありません。と言いたいのですが、よーく見ると若干だけうっすら残っている場所があります。
ですが例の玄関先や襲撃現場にはもう何も残っていませんでした。

事件当日の様子を少しだけ振り返る

当時はやはりほど近い実家の飲食店の手伝いをしていたのですが全く気が付きませんでした。
22時ごろ友達から電話がかかってきて第一声が「大丈夫か?」だったのでとても驚いたのですが、近くで通り魔があった(情報が錯そうしていた)らしいと聞いて更にびっくり。
後に宮司が亡くなったのではないかと知ったのが23時ごろ。
深夜0時過ぎてもバタバタと騒がしい報道ヘリがうるさくてうるさくて「こんな夜中に撮ったって特に何も映るわけじゃないだろう!」と憤慨してたのですが、まあ、玄関先のあのショッキングな映像が撮れるなら飛びますよねっていう・・・。
深夜1時半頃八幡様を横切ってミニスーパーまで歩いてみたのですが、報道陣が多く、そんな時間なのに東参道前の民家の玄関先で囲み取材みたいなことしてたのが印象的でした。
私もパジャマみたいな恰好で出歩いていたので「ご近所の方ですか」「〇〇局の者ですが」と声をかけられるけど眠いので会釈だけして帰って眠り、翌日朝っぱらからまたけたたましい報道ヘリの音で目が覚めると。
そんな感じで、あとはワイドショーや地元の人の話で詳細を知りました。
イベントが近く忙しかったのであまり出歩かなかったです。

実は過去にも凄惨な殺人事件が。今現在の門前仲町界隈とこれから

今では多少野次馬がてら八幡様に散策に来ている方もちらほら・・・といった感じです。
実家の飲食店ではお酒が入ってくるとやはり皆さん必ず話題に出しますね。 街全体も落ち着いてきたように見えますが、例年は年始の初詣は近隣の店含め大忙しなので来年はどうなるかと不安の声が多いですし、私達も「ところでこの場合は初詣どうしたらいいんだろうね?」といった疑問がわいてきます。
実は八幡様では過去にも殺人事件が起きているのです。
1986年5月に起きた裕士ちゃん誘拐殺人事件。身代金目的で本間書店の三男裕士ちゃんが誘拐され、八幡様裏で頭をこぶし大の石で十回近く殴って殺し弁天池(排水溝とも空井戸との情報も)に死体を遺棄した事件。犯人は捕まり死刑が執行されました。
もう今ではその事件のイメージもほとんどなくなり、お祭りと相撲のイメージな八幡様になったのに・・・。
当時とは違って報道もSNSもネットも発達しこれだけ多くの人に事件の凄惨さ・異常さが伝わってしまったので、これから先長い間この事件のイメージは付きまとう事でしょう。